由緒

正式名称:仁王利剣山 華厳院 吉祥寺

(ふりがな:にんのうりけんざん げごんいん きっしょうじ)

宗派:真言宗

吉祥寺{きっしょうじ}は、文明6年(1474年)辛丑歳創建の古刹{こさつ}(由緒ある古い寺)で真言宗善通寺派の西の本山として知られています。
その昔、弘法大師様が九州行脚の時、当地{ここ}の瀧場で仁王経を読まれ、御祈願された御遺跡{ごゆいせき}であるという事から仁王山と呼ばれています。

本尊は、大日如来と言われていますが、両部の秘印を結印された四臂{しひ}(四本の腕)大日如来の胎内仏として安置される秘仏大日大聖不動明王を実の本尊としています。
この胎内御本尊は、舒明天皇{じょめいてんのう}の玉体安穏を祈願した秘仏で12年に1度の丑の年御開帳され、さらにその年には、釈迦如来涅槃像の他、寺宝などを拝観する事もできます。
この寺院の開山三十一世 (中興開山)である篠原龍善{しのはらりゅうぜん}上人は、荒行・難行・苦行を重ね、その霊力は他に類を見ませんでした。
大寒の日、万人救済の為に霊峰九千部山{くせんぶさん}(福岡県と佐賀県を分ける背振山の東側に位置する。標高848m)で、21日間、さらに、大雪氷柱の垂れ下がる中、大宰府の宝満山{ほうまんざん}においても 21日間の断食行を修したのです。
後に法燈を継いだ三十二世寛翠{かんすい}大和尚も百を超える親仏末寺を率いて宗祖大師御誕生の霊場・総本山善通寺 (香川県善通寺市)の大本山「吉祥寺」の興隆に尽力し、生き仏として万人に慕われました。現在は三十三世 寛明住職{かんみょうじゅうしょく}が”垣根のないお寺”を継承しています。
昔からお慈悲の寺、人助けの寺と呼ばれています。

吉祥寺は、しゃくなげ寺としても有名で、4月の満開の頃には約1000本のしゃくなげが咲き誇り、多くの方がお花見を楽しまれています。
また、大慈悲殿(本堂)地下の 御浄土巡りは、胎内巡りとも言われ国内でも数少なく貴重なものです。